隊長のいないキャラバン

とは、なんと虚しく心寂しいものか。その前までに語ってくれたストーリーがとても良いものだったので、落胆が大きい。


あいちトリエンナーレ2016の芸術監督港千尋さんから、祭りのテーマ「虹のキャラバンサライ」への思いを聞く。キャラバンサライとは、何百人もの大所帯で旅するキャラバン隊が宿泊し休息する場所。泉には噴水、ペルシア絨毯のある広間、そこでは音楽が奏でられ踊ったり詩を読んだりして楽しむ。人々そして一緒に旅する馬やラクダの安息の場。

そんな場所ぜひ行ってみたい。

と思ったところで、港さんから、あいちトリエンナーレは世界中の人を受け入れるキャラバンサライだと、ボランティアはキャラバンメンバーでもありアーティストをいれると1000人を超える人がこの旅団を形成している、トリエンナーレ会場を結ぶ鉄道や自然、歴史全てがキャラバンサライになる、一生の思い出になるような旅になるように全力でやっていく、私たちは創生の旅の一員です、と締められました。

ゴビ砂漠の写真を見たところから、少し込み上げるものがあったけど、話をきいたら、ものすごく伝わってきた。港千尋の思いが。

向かう方向が見えた。旅団の一員になれるんだと思うと心が浮き立つ。キャラバンサライに自分も行くことができると思うと、そこまでの道のりまで、なにか懸けてみようと思うような。とにかく、今度のトリエンナーレ、やりたいことをやってみよう(ボランティアの身ですが)と、思いをうちたてた…


ここまで気持ちが高まったところで、港さんの姿が会場から消えて、残念だった。旅団の隊長を無くした団員はほんとうに弱いもんです。自立しろよ、という団長の思いなのかな。


とはいえ、こんなメッセージをいただけて、人に思いを伝える、ということは、人を動かすのだと実感しました。また、これくらい、と思うことで、人は信用も無くす。人の心というのはなんと移ろいやすいものか。


話は変わりますが、最近、まっきーの「どんなときも」は、ものすごい唄だと今頃思い始めました。自分が苦手なこと。好きなものは好きと言える勇気。勇気。ない。自分。でも言う。それが今年の目標です。